大阪コリアタウン歴史資料館全景写真

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設立趣旨書Founding Mission Statement

大阪市生野区に、大阪コリアタウン歴史資料館を設立します。

コリアタウンは、かつて猪飼野という地名であった地域の真ん中にあります。
猪飼野という地名は港であることを示す「猪甘の津」に由来し、百済などから人びとが渡来し居を構えたのでした。

時代を経て、1920年代には「日本国猪飼野」を住所地に書くだけで、朝鮮半島とりわけ済州島からの郵便が届いたといわれます。
当時、大阪は「東洋のマンチェスター」と呼ばれるほどの一大工業都市へと様変わりしつつあり、日本の植民地下で困難な生活を強いられた人びとが、朝鮮半島そして済州島から生活の道を求めて渡ってきたのでした。

1990年代に入り、かつて朝鮮市場と呼ばれていた御幸通商店街は通りを整備し、2000年代には日韓ワールドカップ開催や韓流ブームの勢いも重なり、今やコリアタウンは、年間200万人が訪れる一大観光地となっています。

けれども、それ以前より、小中高の子どもたちが社会見学や修学旅行でやって来ていました。
雨の中、公園で説明を聞く子どもたちの姿を見て、徳山物産創業者である洪呂杓さんが日韓文化交流施設「班家食工房」を建てたのが2003年でした。コリアタウンは、洪呂杓さんがおっしゃっておられた「餅ひとつから」朝鮮半島と日本の歴史を学ぶ、体感型の学びの現場なのです。

御幸通商店街が「大阪コリアタウン」として活気づいてきた今、私たちは次のステージに踏み出す必要があると考えました。
現在の姿が生まれてきた歴史を学ぶ場づくりです。
コリアタウンの土台となった猪飼野の歴史は、日本と朝鮮半島の間に生まれたさまざまな流れが古代から積み重なり、現在の生野区での多文化共生の町づくりに結びついています。
なかでも、20世紀からの歴史は、日本と朝鮮半島を含む東アジアの歴史が、ここ、生野のコリアタウンに集約されていると言っても過言ではないでしょう。

そこで、私たちは、「班家食工房」建設から20年目にあたる2023年、この地に大阪コリアタウン歴史資料館を設立することにしました。
大阪コリアタウン歴史資料館に立ち寄りひとときを過ごすことで、地域に刻まれた歴史に想いを馳せ、共に生きてきた人びとの姿に出会い、誰もが未来を創り出す可能性を手にしていることに気づく、開かれた場づくりを目指していきたいと考えています。

大阪コリアタウン歴史資料館に多くの皆さまが関心を寄せてくださるとともに、是非ともご支援いただけますようよろしくお願いいたします。